2010年6月30日水曜日

平成22年本山参拝

さる6月7日~9日の日程で、曹洞宗大本山永平寺に参拝団を組み、お参りしてまいりました。
祥雲寺では例年曹洞宗の二大本山である永平寺と總持寺を交互にお参りしています。


関越自動車道走行中の写真。
福井永平寺までバスで移動する為、朝早くに出て夕方近くに到着の行程となります。


永平寺応供台での夕食。
他の参拝団の方と一緒に膳につき、作法に則って食事を頂きます。


夕食了っての座禅、法話の時間。
参拝者に永平寺での修行の一端、禅の教えを知ってもらうため、
夕食の後はこのような座禅の時間をとっています。


翌朝、不老閣での一枚。
不老閣というのは永平寺の管長、禅師様の御住いにあたります。
めったにお参りすることのできない場所ですが、今回ご縁を頂き
参拝団の皆さんと一緒に禅師様にお参りすることができました。

めったにないことなので、参加者一同大変緊張していたようです。



2日目永平寺を出て瑞泉寺にお参りしました。

山門の所では近所の小学生が写生に来ていたようです。


瑞泉寺総門前で一枚。


世界遺産白川郷の展望台で集合写真。
白川郷は合掌造りの民家を保存し、
昔ながらの農村風景を現代に残している大変素晴らしいところです。


散策中の一枚。
参加者に元々農家であった人もいるので
建物に入ると、これはこういう使い方をしたものだ、と懐かしそうに話す方もいました。


高山まつりの森、施設内での一枚。
まつりの森は高山の夜祭りの風情を味わえる大きな洞窟内の施設になります。
祭りばやしや太鼓が鳴らされ、またそれらを体験することができる非常に楽しい施設です。


山車の前での一枚。
高山の祭りと言えば春の山王祭りと、秋の八幡祭りの二つが日本3大美祭に数えられるほど有名です。
高山祭の魅力は、美しい祭屋台にあります。その美しさは動く陽明門とも称えられるそうですが、このミュージアムにくると、いずれ本物の高山祭を見てみたくなります。


3日目、高山に宿泊して旧街道沿いをぐるり散策し、朝市を見てきました。
朝市に出店するおばちゃんたちは総じて商売上手で、
皆さんお土産を買いこみすぎてしまい苦笑していました。
今年も皆体調を崩すことなく、楽しい参拝旅行を行うことができました。
来年は總持寺御移東100周年に合わせてのお参りを企画しています。
また多くの方に良いお参りをしてもらえるよう計画していきたいと思います。

2010年6月16日水曜日

平成22年6月朝参りお知らせ


永平寺 龍門

 唐時代の禅僧、香厳(きょうげん)禅師は潙山霊祐禅師のもとで修行していました。
 ある時、師が問います。
「おまえはたいへん博学聡明であるが、この世にまだ何も現れていない前のことを、経典や書物にある言葉ではなく、自分の言葉でわしに言うてみよ。」
 香厳禅師は数度にわたって考え抜いたが、どうしても言うことができませんでした。そしてこのことを悲しんで、持ってきた書物を焼き捨ててしまい、修行僧たちの食事の給仕をする役目に就いて年月を過ごしました。さらには、むかし慧忠禅師という大禅匠が住んでいた山に入って庵を結び、世間とのかかわりを捨てた生活をおくりました。
 ある日、道を掃き清めていると、箒(ほうき)の先にはじかれた小石が道ばたの竹にあたってカーンと鋭い音を立てました。そのとたん、なが年こころのなかで問い続けていたことが氷解し、悟られたのです。
 この話は有名な禅話です。以前、私はこの話を軽く考えていました。それは香厳禅師の真剣さを真剣に考えていなかったからです。
 弟子を問いつめる師霊祐の力量、それに必死で応えようとする香厳、ただものではない師弟関係です。霊祐の問いには模範解答があります。しかし、そんな知識で答えられることを問うているのではないのです。頭で答えきることができないことを頭で徹底して考え抜き、その結果が書物を焼き、僧堂での下積みの役を勤め、独り山に入っての修行だったのです。いずれも自分だったらどうかと思いめぐらすと、そのすさまじさが伝わってきます。
 香厳禅師はその後も、山中の奇岩や清泉を修行の相手として、一生目立たない静かな生活を送りました。
 道元禅師は修行こそ悟りの表われであるとされていますが、その修行はかくも徹底したものだったのです。
  
 平成22年6月15日              
                                       祥雲寺住職 安藤明之

 十八日の観音様の朝詣りは
 午前6時から行います。