2011年6月30日木曜日

春行事写真まとめ

梅雨真っ盛りの時節、閲覧されている皆さんはいかがお過ごしでしょうか。


当ブログは3月の地震以降、管理者が宮城県気仙沼での被災地支援活動に従事していた為更新が著しく滞っていましたが、不在の間の行事写真をここでまとめて掲載したいと思います。






上2枚は春彼岸の中日に行いました祥雲寺檀徒入檀式です。

輪袈裟と数珠を授与し御本尊様への礼拝を行い、御檀家の位牌全てを祀る開山堂を巡ることで祥雲寺への入檀式としました。











上3枚、今年も例年と変わらずに咲いてくれたしだれ桜の写真になります。


桜を見に来る人は残念ながら少なかったようですが、変わらないものを見る、それだけでもホッとします。




4月の3日には祥雲寺ではおなじみの美鈴すみ子先生の民謡、昔語りの会を開催できました。








4月5日、お釈迦様の誕生日を祝う花まつり用の花御堂を製作しました。


例年とは違い一基のみの制作となりましたが、その分丁寧に綺麗に仕上げていただきました。






上2つは祥雲寺花まつり大写経会の写真です。

このような時であればこそ、このような行事は中止せずに行うべきだ、と思い定めて当日を迎えましたが、想定より多くの方にご参加いただけて大変ありがたく思いました。









祥雲寺陶芸会の庵での作陶平穏祈願と会食の写真です



皆さん毎週火曜と木曜に集まり、駐車場奥の作陶庵で励まれています










4月28日は東北太平洋沖地震発生から49日の日に当たります。


周辺御寺院にも協力をお願いし、お檀家さんにも参加いただいて49日の慰霊法要を行いました。



今回の地震に際し、動ける人は現地のボランティアに、行くことのできない人はお金や物資の寄付を行うべきだ、とは方々でよく耳にし、また実行されてもきました。



ですが行って手伝うことができなくても、お金や物を送ることができなくても、せめて心だけは寄り添ってあげたい、祈りだけでも届けたい、そんな声もまた多くありました。


ご協力ご参加いただいた方達に、本当に感謝したいと思います。











5月2日、第29回仏教を知る会を無事開催、円成することができました。












上3枚は5月末に境内を撮った写真です。


これからしばらくは更新が滞ることもあるかと思いますが、出来る範囲で続けていきたいと思います。

2011年6月17日金曜日

平成23年6月朝参りお知らせ


5月末、本堂前広場

 明治元年3月から発布された一連の神仏分離令によって、大規模な廃仏毀釈運動が起こりました。地域差がありますが、全国ではほぼ半分の寺が廃寺となりました。
 奈良の興福寺では、僧侶全員が春日大社の神職となり、堂塔は荒れるに委せる状態になりました。中には当時奈良県で法隆寺と並ぶ大寺院であった永久寺のように、還俗した寺僧たち自らが破壊してしまった寺もありました。
 神社から仏像、仏具を排除せよとの太政官令のもと、神社のみならず、廃寺となった全国の寺々から仏像、仏画、法器、荘厳具が流出し、美術品として海外に渡ったものも数多くあります。
 明治15年以降のフェノロサと岡倉天心による文化財保護への尽力がなかったら、興福寺の阿修羅像も外国の美術館に展示されていたかもしれません。
 廃仏毀釈は、わが国の歴史が培ってきた文化を否定し破壊してしまったという点で、中国の文化大革命にも匹敵する愚行、蛮行です。政治が運動の火を付け、民衆が応じた点も似ています。背景には、徳川幕府の仏教保護政策にあぐらをかき、幕府行政の出先機関と化した寺院や、修行と教化を怠った僧侶への不信も確かにあったと思います。
 しかし本質は、天皇を中心とした強力な中央集権国家を造ろうとした明治政府の思想統制、宗教統制でした。天皇を現人神(あらひとがみ)とする国家神道を打ち立てるためには、神道の基盤である神社に人間の存在を超えた「ほとけさま」がいては、はなはだ都合が悪かったのです。
 私は、神仏習合は仏教の日本的な展開だと思っています。非常に豊かな文化を生み出してきたし、それによって仏教の本質がゆがめられたということもありません。もとより政治は大きな力を持っていますが、それが人間の精神の営みまでも支配しようとし、貴重な文化と伝統が失われてしまったことを残念に思うものです。
                                     
                                平成23年6月15日 祥雲寺住職安藤明之
十八日の観音様の朝詣りは
午前6時から行います
☆梅☆ 朝詣りの後、梅落としをいたしますので、一緒に採ってお持ち帰りください