2016年3月26日土曜日

28年3月 早朝坐禅会「指月の会」案内

祇園精舎 アーナンダ菩提樹にて

祇園精舎のほど近く、アングリマーラーの隠れ住んでいた石室


指鬘改悔の所「・・大きなストゥーパがある。アングリマーラ(指鬘外道)が邪心を捨てた所である。」
                   玄奘三蔵『大唐西域記』


 インドの北方、ネパールとの国境近くに祇園精舎があります。

 祇園精舎は数ある精舎(僧侶たちの修行場)の中で、お釈迦様が最も数多く留まられ、比丘たちと起居された場所です。
この祇園精舎のほど近くに、この地を統治していたコーサラ国の首都舎衛城の遺構があり、その隣にアングリマーラの石室があります。

 アングリマーラは殺人鬼です。
生まれた時町中の刃物が輝き、予言に凄まじい殺人鬼になるとまで言われましたが、王の顧問であった父の庇護のもと健康に育てられます。
優秀な若者として育ちますが周囲の妬みを買い、それがもとで師匠があがめる神との約定、人間の指1000本を捧げるという契約を代行することになります。
元来秀でていたアングリマーラは能力を発揮し、凄まじい殺戮をするようになってしまいました。

 人殺しを続けてまもなく1000本となる時、最後に生みの母親を殺そうとするのを聞いてお釈迦さまは哀れまれ、アングリマーラの前に立たれます。
遠くにお釈迦様を見つけ、アングリマーラは「こら比丘待て」と言いますが、お釈迦さまは待たずに歩まれます。
歩まれながら
「お前が待ちなさい、私はとっくに待っているのだよ」
と返されました。
アングリマーラは、出家者はうそを言わないはずであるのに何を言っているのか、疑問に思い「何を言っている?」と問いかけます。
お釈迦さまは
「お前には心の汚れがある。怒りがある。憎しみがある。
ずっと人殺しをし、生命を殺してきた。
それではいつまでたっても限りなく輪廻転生して、地獄に落ちながら限りなく歩く羽目になるのだよ。
私は心から一切欲をなくして、一切行為をなくして、
完全に停止しているのだから、私はまさに止まっているのだ。
私には地獄も、天国も、輪廻すべき場所は何もないのだ」

それを聞いて真理を知り、アングリマーラは罪を悔いて出家し、お釈迦様の弟子となります。
以後大変な苦労をしながら修行を続け、ついには長老と呼ばれるまでに長じられたとのことです。


仏教というのは読んで字のごとく、仏の教え、そして仏となる教えであります。
真理を知り、その智慧を自分の眼として観るとき、人は自らを苛む苦しみから遠ざかり離れることができます。
その修行として、古来坐禅は行われてきました。
人が清らかになる道とはどのようなものであるのか、アングリマーラのエピソードはそれを教えてくれています。

                               祥雲寺副住職  安藤淳之

一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

日時:3月28日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
     6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
     7時20分~8時    (二回目の坐禅)

場所:祥雲寺本堂一階

用意:身一つで大丈夫です。
    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています




3月26日の祥雲寺天然記念物しだれ桜開花状況

本日は好天の為昨日より色づいてます


一昨日は一輪だけだった花が複数開いてきました。
今年は暖冬だった為早く咲くのかと思いましたが、おおむね例年と同じくらいの開花日で落ち着きました。

4月頭くらいが見ごろになりそうです。

2016年3月16日水曜日

平成28年3月観音朝詣りのお知らせ


インド独立の記念碑、インド大門にて

 一月のインド旅行で、中部インドのジャーンシーという都市を通りました。
インド独立運動の聖地ともいえる町です。

 ムガール帝国のインドはマハーラージャといわれる領主たちが自分の利権だけを求めて争い、バラバラになっていました。
イギリスはそこにつけ込んで侵略し、莫大な利益をあげるようになっていました。
1857年、イギリスの雇い兵たちが宗教的なことが原因で反抗したことがもとになって、全インドでイギリスに対する大反乱が起こりました。
イギリスによる収奪はインドに広く行き渡り、我慢のできない発火点に達していたのです。

 この大反乱では、独立の英雄といわれる人たちが多く出ました。
その中のひとりが、ジャーンシー王国の王女、ラクシュミー・バーイーです。
イギリスに奪われた王国を取り戻すべく戦いの先頭に立ち、勇敢さとすぐれた知略で優勢なイギリス軍をたびたび破りました。
遂に戦場で斃れましたが、敗北必至の苦境にあっても闘志を失わず、果敢に戦ったその姿は、後のインドの独立運動を勇気づけました。

 ネルー首相は著書『インドの発見』で
「名声は群を抜き、今もって人々の敬愛を集めている人物がある。
その名はラクシュミ―バーイー。
齢二十のうらわかい女性の身で戦場に仆(たお)れた。」
と称えています。

 ジャーンシーの駅前には、武装した騎馬姿の彼女の銅像が建っています。

 そして、その近くには、塩を求めて海に向かうガンジー一行の銅像が建てられています。
イギリスの塩税に抗議して1930年に行った「塩の行進」と呼ばれる無抵抗不服従運動の姿を写したものです。

 武力によっては適わなかったインドの独立は、ガンジーの平和主義によって成し遂げられました。
その根底に、ラクシュミ―のような勇者たちの活躍によって生まれたインド人のほこりがあることも忘れてはならないでしょう。

 平成28年3月15日
   
                              祥雲寺住職 安藤明之


十八日の朝詣りは午前6時から行います。